hサンタさんは、いる!?
「ねえ、ママ」
「え?」
「サンタクロースって、いないんでしょ」
「…」
「この前の本のことなんだけど」
「『サンタクロースっているんでしょうか?』よね」
「そう、それをね。友達にみせたの」
「うん、うん」
「そしたら、ウソついてるんだって」
「そう言われたんだ」
「本を書いた人のことをね、ウソつきだって」
「そうかなあ」
「子供にゴマすってるんだって。いい顔みせて」
「そうかあ。まあちゃんは、どう思う?」
「うーん。やっぱり、いないんでしょ?」
「そう? ママは違うなあ」
「え。どうしてえ?」
「あのね。サンタクロースって人、生きてたのよ」
「え?」
「ただね、その頃は違う名前だったの。セント・ニコラウス」
「セント・ニコラウス?」
「その名前が有名で、あちらこちらに伝わったのね」
「いろいろな国に?」
「そう、そして呼び名も変わったの。アメリカでは、サンタクロース」
「ふーん。生きてた人なのかあ」
「まあちゃん。死んだ人は、どうなる?」
「ママが、いつも言ってるじゃない」
「そうね。消えてなくなるって人もいるけどね」
「見えない世界に帰ってるんでしょ」
「そう、いいことをした人は、いい所に住んでると思うよ」
「天国とか極楽とか…」
「それで、いい事してた人は、まだまだ親切をしたいでしょ」
「死んだあとでも?」
「そうね。まあちゃんなら、どう?」
「そうだよね。親切すると、いい気持だし」
「でも、天国で親切したいけど、みんなが幸せでしょ」
「そうだね…」
「欲しい物だって、きっとみんな持ってるかも」
「うん」
「だから天使は、時々地上に来るんじゃないかなあ」
「何かプレゼントをしに?」
「そうね。でも、たいていは目に見えないものね」
「たとえば?」
「心、だよね。きっと」
「サンタって、じゃあ、天使なの?」
「そうじゃないかなあ。翼はないけど」
「おじいさんの天使?」
「おかしい?」
「ううんと。まあ、いてもいいかも」
「ママも、そう思うよ」
「でも、靴下は?」
「ん?」
「靴下のプレゼント、あれ、パパやママだったんでしょ」
「そうだねえ… でも、サンタさんの仕業だよね」
「え? え?」
「サンタさんは、心にプレゼントするのね」
「心に?」
「そう、すると、お父さんや、お母さんは…」
「ああそうか。お母さんの心にかあ」
「毎年々々、クリスマスになると…」
「うんうん」
「お父さんや、お母さんの心に、サンタさんが来る」
「本当? みんな、わかんないじゃない」
「そうね。親のみんなは、分からないよね」
「でも、ママは違うの?」
「やっぱり分からない。でも、そんな気がするの」
「友達になんて言おうかなあ」
「ん?」
「サンタがいるなら、証拠をみせろだって」
「それは無理よねえ」
「無理だよ。だって、サンタは天使なんでしょ。おじいさんの」
「そうだと思うよ」
「天使に来て下さいって、言えないよ」
「そりゃあそうね。だって、たましいだもの」
「目に見えないものね」
「見えぬものでもあるんだよ、ね」
「ああ、金子みすゞさんかあ」
『サンタクロースっているんでしょうか?』の本、紛失してはいないと思うけど、行方不明です。この詩を書いたのは大分前です。この本についてのある方の日記を見ていたら、思うところがあり、表現したら、親子の会話という形になりました。
私の記憶では、セント・ニコラウスの名は、この本にはなかったはずです。そこで、こんな会話になりました。
いろいろな解釈の出来る本です。これは、私なりの感想で、全然べつの感想もありえるでしょうね…