よい宗教はみな一つ(1)イスラム教のこと等について
タイトルの「よい宗教はみな一つ」というのは私の若い頃からの信念であり、ずっと変わらないままです。
若い頃には生長の家を信仰していましたが、生長の家では「万教帰一」と言っていました。
それから後に幸福の科学が発足してから生長の家はやめましたが、幸福の科学でも、やはり良い宗教はみな同根だと説かれています。
世界中の民族や国々で信奉されている伝統的な宗教はほとんどが良い宗教だと言える気がします。
ただ、日本国内におびただしく存在している宗教などになると、良い宗教はほとんど無くて、9割以上が間違った宗教(邪教)だとも聞いています。新しい宗教ほど本物を選ぶのが難しいと言えると思う次第です。
古くからの伝統的な宗教の大半は良い宗教だとすると、ではなぜ宗教対立などが起きるのか?
その理由は簡単には言えませんが、それぞれの教えの違いにも原因はあるものの、どちらかと言えば信じている人々の理解に原因の多くがあるという気がします。
例えばイスラム教では俗に「右手に剣、左手にコーラン」と言い、現在では非常に好戦的で排他的なイメージが持たれていますが、開祖のムハンマドの頃には決してそのようなものではなく、ムハンマドの作った理想的な共同体では、ユダヤ教やキリスト教の人々にも改宗を迫ったりはせず、他の宗教とも共存していたとのことです。
(信教の自由 ~イスラームの自由意思〜 » 自由大学 FREEDOM UNIV…https://freedom-univ.com/blog/2016_0420/)
それというのも、ムハンマドの説いたコーランそのものが、ユダヤ民族から発したユダヤ教やキリスト教を受け継いだものだとされていたのですから、ムハンマドの本心はむしろ平和的なものだったと言える気がします。
ところが現在ではどうかと言うと、同じイスラム教の内部においてさえ、スンニ派とシーア派が対立している状態が続いている訳で、これは元々後継者争いで、ムハンマドの頃には予想されなかったことです。
現在でもイスラム教の根本は、コーランやムハンマドの言行録にある訳であり、そこには後継者問題についての教えはないのに、のちの人々の思わくが対立を生んだということでしょう。
これは世界中の様々な宗教対立の中のほんの一例ですが、多くの対立は、みな開祖の教えからは離れたものであるはずだと思う次第です。
良い宗教というものは悪い宗教に対しては決然として戦いを挑むこともありますが、それ以外の場においては決して好戦的である筈もありません。
それは例えば、聖徳太子の十七条憲法にもあるように、和ということを尊ぶのが正しい宗教の主旨だと思う次第です。
(この記事は先日に立ち上げた「宗教の選択のためになるブログ」に移すかもしれませんが、当面はこちらに置いておきたく思います)
37冠の受賞 ! 幸福の科学の映画はなぜ高い評価を受けるのか?
現在公開中の映画【心霊喫茶「エクストラ」の秘密】がランキング軒並み1位、そして世界中で26冠を達成しました。
そして前作の【世界から希望が消えたなら】は今回ビデオが発売されましたが、こちらは同じく37冠を達成しています。
全世界で37冠とは、一口では言えるものの本当に凄いことで、並大抵のことではないと思えます。
【心霊喫茶】の方はヒロインは「幸福の科学」という言葉は出していなくても、大川隆法著の『真のエクソシスト』『幸福への道標』『太陽の法』『悪魔の嫌うこと』が出て来ますし、経典「正心法語」も何度も出て来るので、幸福の科学を全面に打ち出した映画だと言えます。
キリスト教や仏教のような伝統的な宗教でもない、新しい一宗教の教義を打ち出したものと言えるにも関わらず、最優秀作品賞などを数々とっていることからみても、幸福の科学の真理に普遍性があり、正しいものだと評価させたことの結果だと思うのです。
ただ、これらの受賞はみな海外のものです。日本国内ではそれほど評価されないという原因は、やはり宗教への偏見があるからでしょう。唯物論の共産主義国ならばいざ知らず、そうではない日本がこうであるとは、実に情けないことだと思います。
「日本の常識は世界の非常識」という言葉がありますが当にこのことだと思えます。
思うに、これは憲法や法律等に於ける考え方が間違っているのです。
今の憲法は、終戦当時に占領軍が日本を弱体化させようと意図して作り上げたものでした。当時、米国は日本の精神的主柱が神道のような宗教にあると見て、これを弾圧するために宗教教育を禁じるなど様々な宗教弾圧を行いました。それが未だに根強く残っていることも嘆かわしいことで、戦後70年以上も経っているのに敗戦時の屈辱的な状態を跳ね返せずにいるとは、何とも言いようもない憤りを感じます。
【心霊喫茶「エクストラ」の秘密】についてはまだ書きたいことがあるので、また稿をあらためたいと思います。
新たに始めたブログ(その2)
今日からまた新たなブログを始めました。
他にも始めたブログがありますが、今回のものは第2のものです。前回のものと同様に、これは宗教に関するブログです。前回の方は幸福の科学に特化したブログにしますが、今回はもっと広く、宗教全般と、それに近い思想などについて語っていく積りです。
新たなブログは次の2つです。
「幸福の科学の一信徒の手記」https://www.happy.taiko888.info/
「宗教の選択のためになるブログ」
https://www.iishuukyou.info/
現在のこのブログは、あまり更新しないことになろうかと思います。
読者の方などで引き続き興味のおありの方は、新たなブログもお読みいただければ、幸いです。
「エクソシスト」と悪魔って何?
梨木香歩さん原作の映画「西の魔女が死んだ」を見たのは何年前だったでしょうか? 気に入って原作もすぐに読みました。するとこんな場面がありました。
小学生の主人公のまいは、お祖母さんに尋ねます。悪魔って本当にいるのと。するとお祖母さんは「います」と言下に答えます。曰く。
悪魔はそこらじゅうにいて人間を狙っている。そしてヘタに瞑想などをして精神が朦朧とした人間などを支配する。そうならない為には意志を鍛えるしかない、と。
私は梨木さんの本はまだ3冊いないので、まだ作者の思想を全て知ってはいないのですが、この一節だけを読んでも真実をよく分かっている人のように感じました。
悪魔と梨木香歩で検索すると『エンジェルエンジェルエンジェル』という小説もあって、こちらは悪魔についてもっと詳しく書かれているらしいと分かりました。また読んでみたく思います。
ただし、生きながらにして悪魔になってしまうような人もあるでしょうが、そののちに自分の所業を振りかえりつつ孫に語るという話のようです。悪魔が自分の所業を振りかえるということはあまりない筈で、そこがフィクションたるところかと思うのです。
ふつう悪魔とは一切反省や懺悔の出来なくなっている者のことを言う筈でから。
さて現在、コロナの影響で映画の公開が制限されている中で、珍しくもヒットして、様々なランキングで1位になっている映画があります。『心霊喫茶エクストラの秘密』は副題が「ザ・リアル・エクソシスト」であり、まさに悪魔払いがメインテーマです。
悪魔のことに限らず、目に見えない世界について少しでも関心のある人には、まさにお薦めの映画です。
一応はフィクションということになっているものの、全て現実を踏まえた映画であり、決して絵空事ではありません。霊のことなど知りもしない人が作り上げた映画なら、観てもただそれだけでしょうが、この映画で知ったことは確実に勉強になります。とおりいっぺんのホラーとは一味も二味も違うと言えましょう。
(『心霊喫茶「エクストラ」の秘密─The Real Exorcist─』公式サイト
https://cafe-extra.jp/)
昨日この映画のヒロイン役の千眼美子さんのブログを読んでいたら、こんな意味の感想が書かれていました。
彼女が思うのに、世間には様々な人がいるが、どんな人であれ眠りにつく時は、元々の良い顔に帰っていると信じたいというのです。成る程なあと思う半面、では彼女が演じているような悪魔払いの人はどうなのかとも思いました。悪魔というのはもう人間として生まれて来ることさえも出来なくなっていると、私は教えられています。彼等にはもう赤ん坊のような純粋な寝顔もある筈もないと思います。
悪魔のような存在が現実にあると認めることはつらいことだとも思いますが、それもやむを得ないことでしょう。
このことについては、また書いてみたく思います。
千眼美子さんについては、映画のエピソードなども興味深かったのですが、たまたま見たのは過去の事務所をやめた事情などを語った記事で、その中に先のようなことが書かれていました。
基本的には、人間の本質は善であるという信念から来るものでしょうし、その信念は正しいものだと私も思います。
点と線(折り紙について)・メモ
これは趣味に関してのメモ。個人的なものです。
折り紙が好きで、メモをとることがある。そんな時、よく点や線を表記することがある。筆記具を使えばよいのだが、紙を折るという方法もある。点ならば折り線の交点ということになる。
では、折りによるのと。筆記具によるのとの違いはどうなのか。それに関して考えてみた。
一一一一一一一一
目はものの位置を色の違いによって認識している。線ならば2色が隣り合っていればそれと分かる。このとき線の幅は無くてゼロである。
紙を折って平面に戻さない場合、隣り合った面はしばしば明るさが違うので線が分かる。このとき線には幅はない。(平面にすると線だけが色が違うのでそこに微かに幅があるのだろうが、微々たるものだ。)
折り紙には精密な折り線が必要だが、この場合の線には幅などはない方が望ましい。サインペン等の筆記具だと幅があるので正確さに欠ける。やはり、折り線は折りそのものによって記録しておくのが最良ということになろうが、それでは目立たないので筆記具をも使うということになるだろう。
点については、上にも記したように、折り線の交点で現せるが、これは次なる作業をも容易にする。中割り折りというのが簡単に出来るので、この点を通る線を正確に増やせるということだ。
新たに始めたブログ(その1)
今日から新たなブログを始めました。
他にも予定しているブログはあるのですが、まずはその第一のもの。これには私の一番の本音を語っていくことになるでしょう。
ひとつの宗教に特化したブログですが、真理というものはすべてに共通しています。
幸福の科学に限らない普遍的な、あるいは日常的なことなども語るつもりです。
現在のこのブログは、あまり更新しないことになろうかと思います。
読者の方などで引き続き興味のおありの方は、新たなブログもお読みいただければ、幸いです。
その他に予定中のブログについては、また書きます。
新しいブログについて
現在、新しいブログを複数、立ち上げるべく準備中です。
今のこのブログは当初の企画とは違って、詩の投稿が多くなったので、詩だけのブログとしてこれからも続けていきます。
新しいメインのブログのテーマは、読書ノート、又は映画の感想などになろうかと思います。
あとは、宗教や思想についてのブログ、幸福の科学に特化したブログなどになりましょう。
「愛」というテーマだけに絞ったブログも作りたいと思いましたが、どうなりましょうか。
またご報告します。