【あすなろ帖】創作・趣味と読書・あの世と宗教のお話

創作は童謡と詩。趣味は音楽鑑賞や折り紙。読書は哲学・宗教・小説・コミック等々。あの世の話や、また仏教・キリスト教・神道・新宗教等々、まだまだありますが、50年近く私の学んで来た事をご紹介したく思います。2019/10/5

h手塚治虫の主人公達の死。死はあの世に誕生する事。

昨日の記事に書き足りなかった事があり補足します。昨日の記事は次から読めます。
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さてお正月ですが、あの世が信じられる者には死とはあの世で誕生する事になるので怖くないので、

この世の束縛から解放されて生まれ変われるので、おめでたい事でもあるのです。

自分は信じられるないからそうは思えないって?
不信仰でも行いが正しかったなら天国に大抵は帰れる筈ですので・・信じられるのが最良ですがね。

で、手塚さんです。

毎日、日めくりの記事を書くためにネットで調べていますが、元日の今日は、手塚さんがデビューした日であり、また『鉄腕アトム』のテレビの第1回シリーズが開始した日でもあると分かりました。

さて、『ブッダ』は読んでいませんが、
火の鳥』の「鳳凰編」には輪廻転生(生まれ変わり)のことが出てきます。
なので手塚さんには宗教的な信念もあった筈だと思います。

さて昨日は、アトムが恋したらしいベムについても書きました。

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↑ これもベムで、昨日とは別の絵です。
やはり、天使のイメージでしょうね・・

ですが彼女の心境の変化や、死ぬ間際(ロボットですが・・)の言葉については書いていませんでした。

そもそも彼女は、強力な爆弾を管理する役目のために、爆弾の一部として造られた告白していました。

まあ一部とは言っても爆弾と連結しているわけではないのですが・・

しかし母星を脱出して地球に来た彼女は、爆弾として造られた事が悲しくてならなかったと、アトムに告白しています。

これは当然すぎる言葉でしょう。
しかし、地球に身を潜めている間に、彼女は地球や地球人への愛着が生まれ、自分が犠牲になっても良いと思うようになるのです。

そしてこの「地球最後の日」の最終場面です。
アトムは尋ねます。
「ベム、君は自爆するつもりなのかい」
するとベムは答えます。
「ええ、爆弾ですもの」
(原作のコミックより)

そこにはもう、自分の本体が爆弾なのだという悲嘆は無く、爆弾だからこそ人の為になれるのだという深い感慨があるようです。

この心境は誠にすがすがしく、胸を打つものがあります。

さて、前回にも言明したように、手塚作品では人類とか他人のため等の理由で死ぬというテーマがかなり多くて、それも主人公に多いのです。

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まず代表作の『ジャングル大帝』の原作では、レオとヒゲオヤジとが大雪の中で遭難します。レオは二人とも死ぬよりも自分の肉を食べて生き延びてほしいと言いますが、むろんヒゲオヤジには出来ません。するとレオは発狂したふりをして襲いかかり、やむなく銃弾が発せられ、レオは死に、その肉でヒゲオヤジは生き残るのです。

また私の好きな作品に、例えば『キャプテン・ケン』があります。

主人公のケンは未来から来た少年です。
その未来では、ケンの母親の、核爆発の犠牲でその後遺症で苦しむ姿が出てきます。ケンはそれに耐えられず、その原因となった核爆発を回避させようと、過去にやって来るのです。そこでは数々の冒険がありますが、最後には爆弾そのものへと突進してゆくのですから、当然ケンは死んだことになります。

こういう主人公の死は、初期からあって例えば『ロック冒険記』がそうです。

晩年では『陽だまりの樹』もそうです。
まあ人の為の犠牲にだけとは限りませんが、主人公が死ぬ話というのはわりと頻繁にあります。

「人その友のために己の命を捨つる。これより大いなる愛はなし」と
聖書にも書かれています。
ましてや、そのおおくが、人類のためというような大きな犠牲なのです。

こういう理想を一生涯、追求していったとみられる手塚さんの信念にも感動させられてやまないものがあります。

こういう考え方は今の時代にはそぐはないという人もありましょう。
けれど、その現代の最新刊であり、また昨年のベストセラーにもなった『青銅の法』では、この犠牲の貴さについて熱く語られています。

そこにはキリストを初めとして、ジャンヌ・ダルクやキリスト教の偉人、そして吉田松陰などの例が列挙され、こうした人々の犠牲があったからこそ、今の私たちの時代になったのだと書かれています。
こういう犠牲の貴さは、時代を超えていて、決して古くなる事はないと考えるのです。