吉田松陰の絶筆と『太平記』との関わり合いについて
今日というか、まあ先程なのですが、いつもより遅く投稿してから、ふと見ると調べはしたものの書き忘れていた事に気づきました。先の原稿の何処かに加えてもよいのですが、一応別の稿とします。
調べていたのは吉田松陰の『留魂録』の事で、そこには七首だったかの短歌があって、何れも彼の絶筆という位置付けがされています。そして、そのうちの最後の歌に目が止まった次第でした。
七たびも生きかへりつつ夷(えみし)ぞ攘はんこころ吾れ忘れめや
先ほどの記事には『太平記』にある楠木正季の言葉をほぼその通りに書きましたが、それとそっくりの歌が松陰の最後の最後に当たる言葉になっているという事なのですね。
こうしてみると、古典の持つ意味というか、その重大さというか、そんな事を改めて思い知らされた気がしてくる次第でした。