【あすなろ帖】創作・趣味と読書・あの世と宗教のお話

創作は童謡と詩。趣味は音楽鑑賞や折り紙。読書は哲学・宗教・小説・コミック等々。あの世の話や、また仏教・キリスト教・神道・新宗教等々、まだまだありますが、50年近く私の学んで来た事をご紹介したく思います。2019/10/5

良い宗教・悪い宗教の見分け方

ふと思った事です。

ある識者の話によると、日本の宗教の90%以上が悪い宗教であり、危険な宗教だと言います。
では、それを見分ける基準は何か。
「精進する」ということ、これがあるかどうか。
つまり、自分で努力する事です。これがあるかどうかが、一つの決め手になると思います。
そして、精進の中身が問題です。お釈迦さまは、心を正す、言葉を正す、身体を正すと、この三つを説かれました。これらが揃うのが理想です。

ひとつ、私の経験を言いますと宗教に所属していて、献金を勧められることがよくあったりして、ふと第三者が見たらどう思うだろうかと思ったりもします。無宗教の人から見れば献金の意味も分からず、それを勧められることに違和感があるだろうとも思います。ただ、そんな場合であっても、その宗教の基本に精進の大切さがあるかどうかが、正しい宗教かどうかを見分ける基準になると思えるのです。
悪い宗教、邪教には、大抵これがありません。不幸な事があるとしても、すぐに自分以外が原因だと説きます。オーム真理教では国家が悪いと説きましたし、不幸の原因はみな先祖が迷っているせいだという宗教もあります。みな間違いです。
例えば浄土宗や浄土真宗では、精進という事をあまり説いていないようではあります。ただそれでも、仏の御名を唱えるという一事は、精進の一つのかたちであろうとは思えるのです。ただし、仏の御名を唱えるというのは、先に書いたうちの、心を正すや、言葉を正すことには相当するかも知れませんが、身体を正す、即ち身体の行動を正すということはありません。この点では100パーセントの理想的な宗教とは言い切れないと思えるのです。
また、比叡山には千日回峰行というものがあります。しかし、これで悟れるかどうか、私は知りません。それを無駄な修行だと言う人もいます。一つに、
そこには心を正すという面を欠いています。
これは禅宗にも言えることでしょう。禅宗では「まあ座れ」ということをよく言います。あれこれと疑問をめぐらせず、とにかく座ってみよ、と言いたいのかと思います。ただ、そこには心に関する教えが不足しているように思います。公案に取り組むということがそれに相当するのかどうかは疑問を感じます。
お釈迦さまは、八正道という修行法を説かれましたが、その中心は心を正すということでした。
また、それだけではなく、言葉や身体(行動)を正すことも説かれました。再び言います。これらのすべてがあるのが理想なのです。