西郷さんを手本にして | 誰もが手本にしたいでしょうね・・
1月23日の今日は西郷隆盛の生まれた日ということです(西暦で)。旧暦だと12月7日だそうです。で、こんな事を思いました。
正しいと思うことをやり、
いじめに出会うこともある。
それがいったい何だろう。
一生懸命しゃべったら、
おしゃべりすぎると非難され、
話しても無駄と黙ったら、
口はないのかとののしられ、
ちょうどほどよく話せても、
口先ばかりと、なじられる。
だから、ひとなど気にするな。
ただ実力をつけてゆけ。
西郷さんを見たならば、
まるで大きな樹のようだ。この樹は何も語らない。
この樹はどっしり動かない。
でも優しいと分かるから、
みなが集まり、慕われる。
西郷さんも、いじめられた。
島流しにも二度あった。
そうでも意思を変えないで、
さらにたくましく生きたから、
立派な仕事が出来たんだ。
罪人にさえされたけれど、
屈することはなかったんだ。
今の僕らのいじめだって、
やがては消えてゆくだろう。
ひとが何をして来ようとも、
正しいことは正しいんだ。
信じることを口にして、
信じる行為をしてゆこう。
誰も認めてくれなくとも、
お日様だけは知ってるんだ。
出典について。
「一生懸命しゃべったら」から「口先ばかりと」の辺りは私の言葉ではなくて法句経というお経が元です。といっても、かなり自由にアレンジしてありますけれど・・。元々の意味からは離れていないと思います。